私は、誰もわたしを知らない私になりたい時がある。
私の過去も、仕事も、生活も、家族も友人も、何も関係ない自分になりたい時がある。

私の身近な人の誰とも共有しない世界が欲しい時がある。

母親ではない自分。
清流涼音ではない自分。
娘ではない自分。
本名でさえも、いらない自分。

そういう世界があってもいいのだと思う。

結婚しない人、子供を産まない人が多いと言われる今の時代。
でも、その気持ちはよく解る。
母親という役割は、あまりに多くのことを求められる。
我慢、子供のために自分を犠牲にすること、自分の楽しみより子供を優先すること。
結婚して、子供を産んで、母親になると、それが当たり前に求められる。
評価などはあまりない。
ちゃんと当たり前のことが出来るように子供を育て上げて、でもそれはとても大変なことなのだと経験して知ったが、しかしそれで当然だと言われる。
何か少し至らないところがあれば、子育ての経験のない年下の、高校生のような子にさえ、「親の躾がなってないね」などと言われる。
(私が言われたわけではないのですが、それを見ていて自分のことのようにショックでした。)

結婚をしない、出来ない世の女性は、自らの母親などを見てきて、無意識的に理解しているのではないだろうか?
結婚をして子供を産んだら、自分という存在は雲に隠れ、自由な時間もお金も楽しみも我慢して当たり前になってしまうのだということを。
母親という世界は、とても厳しいのだということを、潜在意識的に植えつけられているのではないだろうか。

結婚したら、子供を産んだら、自分は今までの自分ではいられなくなる。

結婚しても、子供を産んでも、わたしは私なのに。

子供を溺愛し過ぎて過干渉になる母親の気持ちも解る。
なぜなら、母親に許された楽しみは、子育てだけなのだから。
子供を預けて遊びに行けば、子供をほったらかしにして、と言われるが、子供につきっきりになって、子育てに夢中になれば、過干渉だと疎まれる。

もっと、「母親」という存在が楽しく幸せで、気持ちの良いものになればいいなと、そう思った。
世の中の女性が、「母親」という存在に憧れられるようになればいいな、と。

よく、子供の将来の夢調査、みたいなものがテレビで見かけるが、いつか、ちいさな子供たちが「お母さんになりたい!」と言うような、キラキラと楽しそうに輝く憧れの存在になれればなと思う。

これを読んでいると癒されます。私のヒーリングです。