今日、あることに気づきました。
ここ数日どうにも苛々して疲れてしまっていたのですが、その理由がさっきふとした瞬間に分かりました。
それは、「母親として子供をうんと愛してあげないといけない」というプレッシャーでした。
親として、子供のためにうんと可愛がってあげないといけない、という重圧。
それが私の中にあって、そして自分自身を苦しめているということ。

愛するって難しくて、何をすれば愛している、と言えるわけではないと思います。
人それぞれいろいろな形がある。
もちろん、いつでもどこでも絶え間なく子供と向き合い可愛がる人もいれば、傍でそっと見守る愛もある。
子煩悩でないからといって、決して子供を愛していないわけではない。
私は、いつでも子供こども、可愛いかわいい、としてあげないといけない、それが一番正しくて子供のためになるのだ、親としてそうするのが当然だ、という概念に捕らわれていました。

おそらくそれは、自分がそういう風に育てられたからだと思います。
可愛いかわいいって、祖父母がいる家で可愛がってもらえたから。

でも、今の私は核家族で、いつでもおじいちゃんおばあちゃんがいるわけではなくて、基本自分ひとりで子供を見なくてはならない。
それは今時珍しいことではないけれど、かといって当たり前に簡単に出来る様なことでもない。

子供と二人きりでずーっといると、悲しいかな子供を可愛いと思えなくなる時があります。
そうなると、自分はダメな親だなあとか、どうしてこうなっちゃうのかなあという思いに駆られ、なんだか悪いことをしている気分になります。

子供を可愛がらなくちゃ、もっと優しく声を掛けてあげなくちゃ、面倒を見てあげなくちゃと思えば思うほど、そうすることがストレスになる。

愛そうとすると、愛せなくなる。
「愛さなければならない」と思うことと、「愛すること」は別物なんですね。

子供を愛さなければ、愛してあげなくちゃ、親なんだから。
そう思うことを今日からやめようと思います。
親として正解の愛し方なんてない。
自分らしく子供を育て、愛しいと思うときに自分が思う愛を伝えればいい。

そんな風に思いました。
私は私、私のお母さんは私のお母さん、私のおばあちゃんは私のおばあちゃん。

それぞれ違った子育ての仕方、愛し方でいい。
大事なのは、誰になんと言われようと、自分はこの子を愛してるって胸張っていること。
他人に、そんな育て方じゃだめだとか、もっと愛してあげなさいとか色々言われても、それはその人の愛し方であって私のものではないから、そういう言葉に惑わされないこと。

誰かの理想に乗っかることを考えるのではなく、自分の現実の上で踏ん張ること。
ありのままでいいのだ。
そう思った。